最近の記事

2010年03月24日

〔1300年の記憶〕かつて塔があった(前編)

 塔の跡ばかり訪ねてみようと思い立ったのには、もちろん理由があります。

 1300年におよぶ悠久の歴史を有する奈良。どうしても、古い物が「残っている」ことにばかり注目が集まりがちです。
 もちろん、正倉院や大仏さまの偉大さを考えると、それもうなずけるのですが。
 しかし、現在私たちが見る奈良が、決して1300年前そのままではないことは、言うまでもありません。奈良は凍結保存された平城京ではありません。わたしたちは、奈良の街や公園を歩きながら、一足飛びに天平の昔を体験することはできないのです。
 宮廷が京都へ去ってから今日まで1200年余り、奈良はずっと歴史の舞台でありつづけてきました。その長い時間は、新しいものが数多く生まれ、多くの物が失われていった、激しい変化のプロセスでもあったのです。

 今回、僕は、「残っていない」もの、失われたものに目を向けてみたいと思いました。そして、日本建築の中でもとりわけシンボリックな、「塔」をその対象にすることにしたのです。

 五重塔のシルエットはしばしば、京都や奈良のような古都の象徴として扱われます。
 だとすれば、歴史の中で失われた象徴の痕跡は、いったい何を象徴するのでしょうか?





◆元興寺五重塔跡


大きな地図で見る
20100324005405
20100324005411

 奈良町の真ん中にそびえ立っていた五重塔は、信じられないことに、約73メートルもの高さがあったそうです。江戸時代の絵図には、「海内無双大塔」と書かれています。日本一の五重塔は、奈良の街中からはもちろん、奈良盆地北部のどこからでも見えたのではないでしょうか。
 奈良時代に建てられ、1200年の時を生き残った巨塔は、明治維新を目前にした1859年に焼け落ちます。写真が残っていてもおかしくない時代ですが、残念ながら伝わっていないようです。
 現在も残る礎石が、塔の頑丈さをしのばせます。
 塔跡は、世界遺産として有名な現在の元興寺極楽坊の境内ではなく、ひとつ南の町内にひっそりと残る、華厳宗の元興寺にあります。もちろんもともとは同じお寺の一部だったわけで、往時の境内がいかに広大だったかがわかります。








 塔とは何でしょうか?
 高い建物?
 だとしたら、「高い」とは何メートル以上?
20100324005417
 ↑奈良のランドマークである興福寺の五重塔(室町時代)は、高さ約51メートル。

20100324005423
 ↑北葛城郡広陵町の百済寺三重塔(鎌倉時代)は、高さ約23メートル。

 では、たとえば、そのどちらをも上回る60メートルの高さを誇る建物があったとしたら、それは「塔」と呼ばれうるでしょうか?
「高いんだから塔でしょう」って?
 でも、もし、その建物の横幅が470メートルあったとしら?

20100324005329
 ↑これは、塔ではありません。

 ある建築物が「塔」と呼ばれるには、垂直方向に伸びてゆく形態が必要であるといえるでしょう。







◆東大寺七重塔(西塔)跡


大きな地図で見る
20100324005359
20100324005351

 これもまた信じがたいほど巨大な塔だったようで、高さは70メートルだったとも、100メートルだったともいいます。
 奈良時代に建立されましたが、早くも平安時代に焼け落ち、その後再建されることはなかったそうです。
 この場所に塔が存在したのは200年足らず。その後、実に1000年以上の長きにわたって、ここには何も存在しなかったことになります。
 しかし、塔の基礎だったこの土壇の質量感は圧倒的です。1000年の不在が、なんと巨大な存在感を有していることか。
 驚くばかりです。







 再び、塔とは何でしょうか?
 都心に近年増えている超高層マンション。あれは塔でしょうか?
「タワーマンション」というぐらいですから、塔であるとする立場もあるかも知れない。

20100324005334

 しかし僕は、こういったものを「塔」と呼ぶことには抵抗を感じます。なぜだろう?

 たぶん、居住を目的とした建物の機能からして、垂直方向への高さは本質的には重要でないからでしょう。
 あれは、垂直方向にそびえたっているというより、平面的な住居を、縦に何層も積み重ねたものに過ぎない。







◆東大寺七重塔(東塔)跡


大きな地図で見る
20100324005345
20100324005339

 東塔もまた、西塔と同様に巨大なものであったはずです。
 火災などで何度か失われましたが、二度まで再建されました。最終的には室町時代に焼失し、それ以来、姿を消しています。
 塔跡は、木々に囲まれた芝生です。はっきりそれと分かる土壇が残っていますが、圧倒的な質量感のあった西塔とは異なり、なだからかで優美な姿をしています。そしてひっそりと静かです。
 大仏殿から間近ですが、観光客も、修学旅行生もいない。まるで、深い森の中のようでした。
 僕と、鹿だけ。
 細かい雨が降っています。





【後編へ続く】



中村ケイタロウ
(『中村ケイタロウ・センター』http://home.att.ne.jp/blue/nakamu1973/index.html


posted by 実行委員会 中村ケイタロウ at 01:20| Comment(2) | 【連載】 1300年の記憶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月22日

第2回目の実行委員会定例会議が開かれました

3月21日(日)、Gallery OUT of PLACEにて、
2回目の実行委員会会議が開かれました。
参加者は17名でした。



議題は、主にこの4つでした。


・しりあがり寿さんの会場下見報告

・コテンパンダン展とグループ展の審査会報告

・広報スケジュールの確認

・各部署の進行報告



・・・・


前線ももうすぐそこまでやってきています。
本番が近づいてきたせいか、今回の会議は参加者が多く、
実行委員のほとんどが参加しました。


まずは3月19日(金)に行われた、
招待作家のしりあがり寿さんの会場下見の報告です。
なんとか!?うまくいったという報告者の言葉に、
メンバー一同胸をなでおろしました。
しかし、実際に会場を見学したことで、問題点も浮かび上がってきました。
しりあがりさんに心ゆくまで展示していただけるよう、
改善プランを検討中です。


コテンパンダン展とグループ展の審査会報告では、
アーティストの方々のやる気と熱気を感じました。
実際の作品を見るのがますます楽しみになってきました。

コテンパンダン展、グループ展ともに

第2回目の締め切りまでまだ間があります。


是非、この機会にご参加ください。


広報は、制作しなければいけない印刷物の多さに、
一瞬目がくらみそうに・・・。
チラシ、パンフ、ポスター、チケット・・・。
それ以外にもNAP開催中の目印になるサインやのぼり。
今年の秋は奈良がNAPでいっぱいになるにちがいありません!


また、2月の会議では会計や総務、広報といった各部署の担当者を分担しました。
その後、会議までに各部署ごとに話し合われた内容の報告がありました。
各部署で動くようになったことで、解決しなければならない
問題点や課題が明らかになってきました。
例えば一口にボランティアといっても、
どんなボランティア保険に入るか、どうやって募集するか、
といったことを、考えないといけないということがわかってきました。


・・・・


NAPの本番まで、もうすぐ半年を切ろうとしています。
どんな形が現れるのか・・・。

実行委員一同、不安と期待を抱きながらも前進中です!
posted by 実行委員会 オオタ at 11:42| Comment(0) | 奈良アートプロムについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月21日

しりあがり寿さんがやってきた!

さる3月19日、招待作家展会場の下見のために、

漫画家のしりあがり寿さん

が奈良にやってきました!

この日の奈良は3月中旬にしては肌寒いものの、澄み切った快晴。
午前10時、会場となる奈良学セミナーハウスの旧世尊院に、
しりあがりさんがマネージャーのあきやまみみこさんと一緒に到着。

世尊院は何度かブログでもご紹介したように、桃山時代に建てられた、
日本の伝統的な建築様式である書院造の建物です。
鶴や松が描かれた板のふすまや真っ白い障子、
黒光りする板間やそこから見える庭に、改めて感動する一同。

「場所のもつ力がすごいから、何を置いてもサマになる」

と、しりあがりさんも早くも心を奪われたご様子。


しりあがり寿展下見 007.JPG
「さて、どうしよう」と思案中のしりあがりさん


さらに、イメージが沸くようにと、その場で作品をパソコンで見せていただくことに。
墨絵でさらっと描かれたオヤジが干支の歌を歌いながら踊る映像や
小学校を舞台にしたナンセンスアートに、
実行委員のみんなから思わず笑いがもれます。
「ふざけるなら、本気でやらないとだめですね!」
と実行委員のMさんの感想にも、一同納得。

しりあがりさんが奈良にいらっしゃったのは、高校生以来。
小学生のときの修学旅行と合わせると、3回目だそうです。

奈良の感想は?

と伺うと、

「なんか、きれいになってるね」

とのこと。
ここ数年は遷都祭の影響か、三条通では建て替えがすすんだり、JRが高架になったりと
住民でもおっつかないくらい奈良の町はめまぐるしく移り変わっています。


さて、今回の第二のメインイベントは、大仏様が座っている台座への登壇です。
実行委員のIさんのご協力で実現しました。
大仏様は何度か焼き討ちにあい再建を重ねているため、
創建当時の姿を残すのは、座っている蓮弁のあたりのみ。
それを間近で見られるのです。
蓮弁には、再建の際に溶けた跡やがくっきりと残っています。
蓮弁に彫られた大仏様の住む仏様の世界の絵を見て、
しりあがりさんは

「彫るときに失敗したらどうするんですか?」

と。
やはり、同じ絵描きとしての血が騒ぐのでしょうか…。


しりあがり寿展下見 062.JPG
「大仏様が歩けると、焼けても逃げられるね」
マネージャーのあきやまさんと


そこから一同は山を登って二月堂、三月堂、戒壇院を見学。
二月堂の真下の芝生には、まだお水取りのおたいまつの跡が生々しく残っています。
二月堂前の休憩所で一休み。
ここのわらびもちは、食感がもちもちとしていて絶品です。

仏像の中でも、しりあがりさんは戒壇院の四天王像がお気に入りのようでした。


しりあがり寿展下見 070.JPG
鐘が落ちてくると怖いからと、なるべく真ん中で見上げる一同


夜は市内のバーで歓迎会が開催されました。
映画館を改装したバーで、スクリーンや入り口のドアにその名残が垣間見られます。
昼間は来られなかったメンバーも合流。
懇親を深めました。



しりあがり寿展下見 122.JPG
しりあがり寿展下見 143.JPG
こうして奈良の夜は更けていく〜♪


さらにしりあがりさんは、招待作家展以外にも

さらなる企画を計画中!?

とのこと。
秋にはどんなイベントが待っているのでしょうか!?
これからのNAPに目が離せませんよ〜。

下見会の様子は、しりあがり寿さんの公式サイト

「ほーい!さるやまハゲの助」

でも紹介されています。
是非ご覧ください!

http://www.saruhage.com/blog/20100319-336.html
posted by 実行委員会 オオタ at 01:35| Comment(0) | 出展作家の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月10日

3月6日織部亭 武将と涙とパフォーマンス

愛知県 一宮市にある織部亭
おちついた色のレンガ張りの建物のまわりにはオブジェが置かれ、
レストランとしても現代アートのギャラリーとしても機能している場所。

オーナーの大島誠二さんの事は、ご本人とお会いするよりも先に、記事と写真で知っていた。
写真家の林ヒロミさんが「中部経済」で連載されている「表現と家族」のシリーズ。
そのなかでみた大島さんは、ご自身の命とむきあう場面でもアートとむきあった衝撃の人。
そして、過去、一宮で行われた「街はいまアートで溢れる」という企画をたちあげ、100箇所以上・100人以上のアーティストが参加する展示を一人で取り仕切ったという伝説の人。
そのイベントが打ち切りになったのは、大島さんが病に倒れたからであった。
闘病、そして再発。
癌から二度の生還を果たした大島さんが織部亭を再開されたのは、2008年のこと。
私がその衝撃の人・伝説の人 大島誠二さんに初めてお会いしたのはつい先月、2月のはじめのことである。



奈良は1300年前の文化を守っていればごはんがたべていける町。
今を生きる人の文化がない。わたしはそのことに握り拳をおぼえる。
その奈良で現代アート同時多発展をたちあげようという動き=奈良アートプロム NAP があるのを知り、私も2年前から実行委員会会議に参加してきた。



2月のはじめ、NAPのメンバーと交流の深い関智生氏の個展が織部亭で開かれていて、奈良から車2台 8名で観にやってきたうちの一人に、私はいた。
写真でみていた大島さんと初のご対面である。

初対面のNAPの8人。遠い奈良でのアートイベント。
どちらも大島さんにとっては、無関係でいようと思えばいくらでも無関係でいられるものだ。
しかし大島さんは長時間、NAPメンバーの希望や悩みや半分愚痴も含めた話に嫌なお顔ひとつされず延々と耳をかたむけ、時々的確なことをズバッと仰るのであった。

NAPのたくさんのチラシを受け取ってくださり、別れ際には「10月に奈良に行きまーす!」と。
わたしは一瞬、なんのことだかわからなかった。
「10月になにか奈良に来る用事でもあるのだろうか。。。?」と思い、はっと気がついた。
2010年10月、それはNAPが奈良でアートイベントを開催する月だ。
大島さんは、観にいくぞー!と言ってくださっていたのだ。
ふつうなら「今はまだ観にいけるかどうかわからないけれど、10月になって行けたら行くね」と言うような場面だ。
しかし、大島さんの言葉は「行きまーす!」という宣言だった。

なんという方だろう。これだけ長時間のお話を聞いてくださるだけでも
気力も体力もかなりつかったはずなのに。。。
なんだか戦国時代の武将のような大きさだ。
意図的に人を束ねるというのではない。その魅力に人がついてくるのだ。

大島さんという方が戦国時代ではなくて現代に生きておられるということに、わたしは何かしら感謝の念をもたずにはいられない。
もしも戦国時代なら大島さんへの忠義・忠誠のために、
命をおとすことなど惜しくない人がたくさんでたかもしれない。
大島さんが現代という時代に生きてくださったおかげで、
この魅力的な方への忠誠のため、多くの命が失われずにすんだことを
私は何に感謝してよいかはわからぬままに感謝していた。



私がアートにつっこんだ年月ではっきりしてきたことは
作品そのものを求めているのではなく

作品とともにある人の姿 や
作品のむこうに人がみえている とか
作品に影響をうけて生活や人生が変わっていく人がいる とか

常に人と作品 人とアートについて 興味をもちつづけ
なまものをさがしてあるきつづけて
パフォーマンスアートにいきついているということだ。



織部亭25周年企画展 「わたしの一点」
http://oribetei.exblog.jp/12826257/

初日のオープニングパーティー、人のにおいがぷんぷんしてきて、よだれが出そう。なまもののにおいがする、する、する、する。
大島さんのもとに集う方たち=(もしも戦国時代なら死んでいったかもしれない人たち)に ぜひ実際にお会いしてみたい。
これは行くしかない!!

「わたしの一点」という企画展は、作家さんが一人一点を出展する方式。
参加作家さんの数、なんと40人!!
途中、乗る電車をまちがえたりしてあたふたしながら私が到着したのは午後4時をまわった頃で、すでにパーティーは始まっていた。大勢の人。
大島さんが司会をし、一人ずつにマイクを渡して想いを語ってもらっている最中だった。

耳をかたむけていると
「20年前は。。。」 「10年ほど前に。。。」 といった話が頻繁にとびだす。
皆さん、織部亭さんと長いおつきあいの方ばかりらしい。
と、到着して間もないわたしにも突然マイクがまわってきた。
20年以上も前からお付き合いのある作家さんと、
先月知りあった私とを、わけへだてなく扱う大島さん。
「なんじゃろ、この人のおおらかさは。とても真似でけへん」と私は密かに思いつつ、
マイクを受け取り、勝手にしゃべらせていただいた。


その後が、またイカス。
「machi/さん、パフォーマンスする人だから、今日なにかやる? もし、タイミングがあえば」と大島さん。
ええっっ!?!?   私の表現を一度も観ていただいたことがないのに、
大島さんにとって大切な作家さん達が大勢集まったこの場で発表の機会を??

「まだよく知らないパフォーマーになにかさせて、この場の空気が大丈夫かどうか」なんて
大島さんは読んだりしない方なんだな。。。。と また密かに思う。
ああ まったくこの方は。こういうところに人はついていくのか??



今回の企画展で店内のあちらこちらに展示された作品には、
どれひとつとしてキャプションがついていないので、
誰のなんというタイトルの作品かは、まったくわからない。
次々とマイクを持つ作家さんに興味をもち、一人・二人と「どの作品ですか?」と声をかけてみたが
なんだかばからしくなってしまい、どんなに気になっても作品を特定するためだけに人に声をかけるのはやめにした。

皆、自分の作品を誇示するために出展しているのではない気がした。
織部亭が再開し25周年を迎えたことを、ともによろこぶ為に出展しているように思えた。作品ばかりをおいかけてがつがつ聞いてまわる自分がばからしかった。

私は、しばらくはパフォーマンス発表のお声がかかったことは忘れておいて、パーティーを楽しむことにした。
皆が作品を誇示するのではなく集まってきたように、私も発表のための発表をするのでは意味がない。
おいしい料理や、会話を楽しみ、場の雰囲気に酔いしれた。
すると、なにか自分のなかにどんどんと気持ちが入ってくる。
それは、皆の大島さんに対する気持ちだ。
わたしの胸いっぱいに皆のきもちがはいり、溢れ、もう喉元からゲロリと出そうな勢いだった。
これを大島さんに伝えて帰らねば!
皆がこんなによろこんでいる、皆がこんなに大島さんを慕っているということを。


わたしは店内で大島さんを探し、今夜ここでパフォーマンスをすることを申し出た。
大島さんはすぐにOKを出し、
「machi/さん、何分後ならスタートできる?」と聞いた。
私の返事は「5分後」

「わかった。あと何人か作家紹介した後、すぐに始めるからmachi/さんはスタンバイしておいて。
どの場所でやる? 僕がアナウンスして人をそこへ集める。」と大島さん。

たった今決まったばかりのことが、

一気に実現にむけて動く空気の躍動感。

空気は無色透明だが、なにか どん!と音をたてて物事がうごくかのような気配。
パフォーマンスの場所をつくるため、作品が破損してはいけないということで展示位置を一時移動してもらうことも、大島さんがすぐに作家さんにお声をかけてくださり、自分自身のパフォーマンスのはじまりを待つ。


織部亭は二階部分にも展示室がある。一階部分は大きく二つの部屋にわかれていて、この日の展覧会ではひとつの部屋はパーティーの飲食、
もうひとつの部屋は展示となっていた。
皆、パーティーのために集まりお料理と美酒と会話でいい気持ちで椅子にお座りになっているところを、奈良からやってきたほとんど面識のないわたしのパフォーマンスがはじまるからと展示部屋へ移動して立って観ていただく。
これだけでも、本来なら無謀。



わたしは会場のまんなかに椅子をひとつ置き、自分の白いコートをかけた。


何のマテリアルも衣装もコンセプトの用意もない。
ただあるのは、今やるということだけ。


人が集まり、いよいよ。
カメラを首からさげて、皆に混じってこれからはじまることを楽しもうという態勢の大島さんをひっぱってきて、まんなかに置いた椅子にかけていただいた。

私の貴重品を入れたちいさなカバンを肩からはずし、大島さんにかける。
私の腕時計をはずし、大島さんにつける。
この日の大島さんはマスク姿。
わたしも喉が弱く、いつもカバンの中にマスクをもっている。
自分の新品のマスクを大島さんにつけ、私は大島さんのつけていたマスクをかける。そして私のメガネを大島さんにかける。

観客から、わいわいとにぎやかしの声がかかる。
大島さんも私のパフォーマンスを受けながら、ぺらぺらと冗談をとばしている。
まるでお祭りか、めでたい出し物の合いの手のようだ。

わたしは、自分の上着を一枚脱いで大島さんの足元に敷き、
かわりに大島さんの片方の靴をもらって土を踏むほうを自分の頭にのせ、おちないようにテープでぐるぐると巻いた。
もう片方の靴は、自分の片足に履いた。

machi/が大島さんの手を握り、手を離し、観客の手を握る。
大島さんの耳を握り、観客の耳を握る。
大島さんの目に触れ、観客のメガネの下の目に触れる。
大島さんの首を触り、観客の首をさわる。

そういった行為を繰り返した。
大島さんという人が生きて、こうして人と交流をもち、
そしてそれはそれぞれの人をも生かす

あんなにわいわいと皆がパフォーマンスにむかってにぎやかしの声をかけていたのが、
いつのまにかしんと静まり返っていた。
大島さんはもう一言も発しない。
最後に私が

「大島誠二  ここに生きる」

と声にだしたとき、
かなりの人数がいたにもかかわらずあたりからは息づかいすら聞こえず、私の声だけが静かに部屋に響いた。

2004年にパフォーマンスを始めてから、
誰かへのオマージュを作品にしたのはこの場が初めてだった。


パフォーマンス後、一人の女性が声をかけてくれた。
まさか私がパフォーマンスすることになるとは誰も思ってもいなかったので、会場にカメラを持ってきていなかった林ヒロミさんが、
パフォーマンスの撮影をしてほしいとその場で慌ててお声をかけてくださっていた文さんだった。

私とは初対面の文さんは、
「パフォーマンスを観ていたら泣きそうでした」と言った。
その言葉のとたん、
文さんは泣きそうなどではなく、本当にぽろぽろとをこぼした。

先月に大島さんと知り合ったばかりの私は、大島さんが病に苦しんでおられた場面をまったく知らない。
しかし、いかにここが大切な場か、いかに大島さんが人に力を与えてきたかを、
深く個別のお話を聞かずとも、いろんな人の表情が 私にそれを教えてくれ、パーティーの人の波のなかで皆のきもちがどんどん入ってきてパフォーマンスがうまれた。
こうして初対面の人の涙と出会うことも。



大島さんは昔、眼光鋭い方であったという。
皆、その目に見透かされるのを怖れたらしい。
しかし大島さんの企画展でデビューしていった作家さんは、
よそのギャラリーの厳しさにあたってはじめて
大島さんがいかに暖かく作家を見守り、育てようとしていたかがわかったと言う。
当時の大島さんの口癖は「作家なんてやめなよ」だったという噂。
それはもしかしたら、

「芸術をつきつめる鬼の入り口を 

入ったら戻れぬとしても歩く覚悟はあるか」
 
と問う
真摯な思いやりだったのかもしれない。




3月6日 大島さんの名言
「大島さんって武将みたいな大きさでかっこいいですよね」と言ったmachi/に対して


「僕みたいな程度でかっこいいと言うなんて

 あなたまだぜんぜん男みてないよね」


武将、参りました。土下座。


posted by 実行委員会 machi/ at 04:23| Comment(1) | アートに関する情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。