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2010年07月11日

岡本太郎の散歩道

もう東京都民じゃないけれど、
しばし「東京だより」におつきあいのほどを。


東京は散歩に向いている。
それも、目的のない散歩に。
東京は大阪や京都のように、いくつもの一直線の通りが
縦横に町中を縫っている町ではない。


傾斜地、川筋・・・。
かつてそこにあった地形の跡をなぞるかのように、
曲がりくねり、東西南北ではっきりと示せないような方向へと伸びる道。
関西のいくつかの人工的な古代の都市のように、
迷うことすらできないほどに整然と区画されてはいない。
一本道をそれただけで、元来た道をたどることすら難しくなる。
だからだろうか。
東京が舞台の小説の主人公たちはみな東京の町を歩き回る。
はるか漱石の時代から、村上春樹の時代まで。


そんなあてどもない散歩で、
途中に思いがけないものに出会えるのは楽しみの一つだ。
たとえば、青山〜渋谷にかけては岡本太郎の作品の宝庫
関西なら、誰もが思い当たるのが万博公園の太陽の塔
ならば、東京は「明日の神話」だろうか。


JR渋谷駅から京王電鉄井の頭線へ至る乗り換え通路に架けられているのがそれ。
しかし、同じ人の作品だいうのに、
どこから見ても堂々たる太陽の塔とはずいぶんと印象が違う
太陽の塔が「人類の調和と進歩」をテーマにした
万博のシンボルとして建てられたのに対し、
「明日の神話」は第五福竜丸被爆をテーマにしている。
そのテーマのベクトルの方向性が逆ということだけが理由だけではないだろう。


モノレールが万博公園駅に近づくにしたがって、
太陽の塔はだんだんと大きく見えてくる。
それは来園する人々を手を広げて迎え入れてくれているかのようだ
公園という、普段なかなか訪れることがない場所。
そのせいか、非日常へ至る儀式のように、
訪れる人は皆そこで一旦立ち止まり、見上げ、写真を撮る



一方JR渋谷駅から京王井の頭線へ乗り換える用事というのは、
下北沢や吉祥寺あたりに遊びに行くか、
あるいはその周辺の住宅街へ帰るかといったもの。
それは日常の生活の一部に過ぎない。
そこにはゆっくりと立ち止まって絵を眺めるという余裕は生まれない。
行き交う人波の中では、「明日の神話」は、
その存在感を忘れ去られてしまうのかもしれない。


さて、渋谷駅から宮益坂を上がって、青山通りまで出ると、
国連ビルの手前にこどもの城という厚生省が作った児童のための施設がある。
そのビルの前の広場には、
白を基調に何本もの触手が生えたような彫刻がある。
それが岡本太郎の「こどもの樹」だ。
よく見なければ一瞬通りすぎてしまうのだけど、その違和感に何かあったぞと
引き返して発見したのがそれだった、
辺りのハイソな雰囲気の中に、あの熱気あふれる彫刻があるのだから、かなりの存在感だ。
あんなに堂々と展示されているのに、通り過ぎられてしまう「明日の神話」とはえらい差だ。



そのまま青山通りを青山学院大まで行き、骨董通りに折れる
そこから少し路地に入ったところに、
南国風の庭とそこに飾られた野性味あふれる彫刻が目立つ洋風の邸宅が見える。
庭にある座れない椅子や、食われそうな顔を持った彫刻は、
木々と一体となって自然にとけ込んでいる。
それが岡本太郎記念館だ。
そこは岡本太郎のアトリエとしても使われており、
そこで50年近くの年を過ごした。
美術館、というほどに堅苦しくはない。
アトリエには使いかけの絵の具、書きかけの絵。
居間にはオリジナルデザインのインテリアとともに、等身大の蝋人形。
暮らした人の息づかいがいまだに感じられる
芸術家というと気難しくて、偏屈でと思いがちなのだけど、
岡本太郎の作品やたくさん残した写真から伝わってくるのは、
どちらかというとユーモラスな印象だ。
生命力あふれるなまはげの写真や、太陽の塔の制作風景
そこに映っている岡本太郎はいつも楽しそうでおもしろそうだ。


もし生きていたら、その辺を歩いている本人にも会えたかもなんて、
ありえない想像さえしてしまう。
そんな散歩道でした。











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2010年04月24日

上に伸びる都市/地を這う都市

東京にいると当たり前すぎて気にもとめないが、
ふとしたはずみに思うことがある。

どうしてこんなに奈良の建物は低いのだろうか。


都市の顔となるシンボル的な建物や、
方向感覚の目印となる建造物や地形をランドマークという。
奈良の市街地でランドマークといえば、真っ先に思いつくのは若草山
標高324メートル
東京で、ほぼ同じ高さのビルを探そうとすると、
都内でいちばんの眺望を誇るという、
六本木ヒルズの森タワーのスカイデッキが高さ238メートル
それだけでも高いというのに、同じくらいの高さのビルや建物がわんさかある。
東京タワー展望台、268メートル
都庁の展望台、202メートル
サンシャイン60、226メートル・・・。
比較するまでもなく、奈良の建物の低さは一目瞭然だ。


・・・


奈良の建物がこんなに低い理由は、
昭和41年に定められた古都保存法に遡ることができる。
この法律により、大規模な建造物の建築や大幅な土地の改変をする工事に
規制
がかけられるようになった。
そのせいで、奈良の市街地で興福寺の五重の塔より高い建物は
建てられなくなった、と聞いたことがある。
たしかに、奈良の市街地でいちばん高い建物といえば、
県庁かJR奈良駅界隈のホテルくらいしか思い当たらない。
だから、そのウワサはあながち嘘ではないかもしれない。
しかし、そもそもなぜそのような法律が奈良に適用されるようになったのだろうか。
それは、1960年代戦後の急激な開発により、
歴史的な景観をいかに後世に遺すかが問題となったからだ。
そこで、法律で、政治や文化の中心として
歴史的に大きな役割を果たした市町村を古都と定め、
その景観を保存しようとした。
その法律により、奈良も古都と指定されたのだ。


でも、法律だけが理由なのだろうか。


・・・


例えばランドマークからの眺めはどうだろうか。
若草山の頂上から奈良の市街地を眺めれば、
眼下には東大寺の屋根、興福寺の五重の塔、屋根の連なり。
遠方に目をやれば、二上山の稜線が見え、
その先にかすんで生駒や京都の市街が見渡せる。

近景から、遠景へ。

まるで、風景画のお手本のような世界だ。


街並.jpg


一方、都庁からの景色はそれとは対極的だ。
目の前をビルが遮るかと思えば、
そのすぐ横は地面にへばりつくような高さの公園や家屋。
近距離にあるビルにいる人影はくっきりと見えるのに、
すぐ下に広がる市街地に動く人や車は、
ミニチュアと呼ぶには小さすぎるスケールだ。


ML_TS360040002.JPGML_TS360039.JPG



東を見やれば東京タワー、森ビルと高層建築群が連なり、
西は世田谷、吉祥寺などの低層の住宅街が続く。
その果ての地平線のかなたに、富士山がぽつんと見える。


その景色は、

あるべき距離に、あるべきものが、あるべきサイズに見えない、

という、アンバランスな印象を受ける。
そして、その印象のいちばんの原因だと考えられるのは、平野という地形だ。
町の境界はあいまいで、終わりなくどこまでも続く


・・・


高いところから土地を眺める
それは人類がはるか太古から抱き続けてきた欲望なのかもしれない。
権力者はえてして高い建造物を建てたがる。
それは自らの力を誇示するためなだけではなく、
この土地を支配しているという実感を得るために、
塔や屋根や望楼の上から景色を眺めるためではないだろうか。

しかし、都市を見下ろす視点を確保するためには、
確定された境界の中において、いちばん高い場所にいるという確証がなければならない。
ところが、その確証がゆらぐとどうだろう。


どこにいてもすべてが見渡せないという不確実さをもった都市においては、
空でも飛ばない限り全容を知ることは無理だ。
ならばそれをもつことが許されるのは、鳥か、あるいは神くらいのものだろう。


東京という都市は、ビルやタワーによって競って上へ上へ伸びようとしている。
それは、単に資本の力を誇示するためというよりかは、
平野という、果てしなく境界が広がる町だからとは言えまいか。
そうでもしなければ、その視点を得たという実感がもてないのだから。


ならば、奈良という都市の建物の低さは、法律や資本の問題だけではないのかもしれない。

盆地という、山々が都市の境界を容易く定位してくれる地形においては、
山に登りさえすればその視点を得ることは簡単だ。
だから、わざわざそのような建物を作る必要はない。
むしろ、あらかじめ自然条件によってその視点をもつことが規制されているともいえる。
誰もが若草山にさえ登れば、都市を見下ろす視点を得られる。
だからこそ、都市を見下ろすような高い建物が必要なかったのだ。
だとすると、奈良という都市は、そもそも上に伸びることすら放棄していた都市だったのかもしれない。


オオタ
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2010年02月27日

NO MAN'S LAND 鑑賞日記――2.複製と鑑賞

東京特派員のオオタです。みなさんお元気ですか。
東京では、梅の花が咲いてようやくめいてきたのもつかの間、
また冬の寒さに逆戻りです。


さて前回に引き続き、旧フランス大使館で
2009年11月21日(土)から2月18日(木)まで開催されたアートイベント、

NO MAN'S LAND(ノーマンズランド)

の報告第2弾

前回は展示スペースと作品の関係性についてのお話でしたが、
今回は作品と鑑賞者の関係性について書いてみたいと思います。


・・・


美術館に行ってきたのに見てきたのは人の頭、というのはよくある話。
今回もご多分に漏れず、黒山の人だかり
ぎゅうぎゅうと押されながら、人の流れにのっかる。

会期も長いし話題性もあるから、これだけ来るのは当然だよね、

なんて思うけど、
なんだかいつもの美術館で見る展示と違う感じがする。
その理由を掴めないまま見ているうちに、

カシャッ

というシャッターの音でやっと気づく。


そうそう、この展覧会は写真撮影が可能なのだ。
デジカメ、ケータイ、一眼レフ・・・。
みな首から、手からカメラをぶら下げ、
いたる所でシャッター音が鳴り、フラッシュが光る。


それが違和感の原因だったみたい。


・・・


日本の美術館はとても静かだと思う。



鑑賞者はみな作品を目に焼き付けるかのように、
目を皿のようにして、作品を凝視する。
でも、このイベントでは、そのかわりに
作品に熱心にカメラを向ける
観光地での記念撮影みたいに、作品とツーショットを撮っている人もいる。

日本人はどこでも写真を撮りたがるとか、
デジカメやケータイが普及し写真やカメラが身近になったからとか、

それだけが理由だろうか?


写真や録音といった複製技術は、オリジナルを尊重する芸術作品においては、敵としてみなされがちだ。


いわく

簡単に複製できるようになると、著作権が侵害されやすくなる


とか


鑑賞者が複製によって何度もどこでも鑑賞可能になるため、真面目に鑑賞しなくなる


とか。


だから、なんとなく作品にカメラを向けることに対して、抵抗感をもってしまう。

でも、このイベントで、鑑賞者たちはみな屈託なくカメラを向ける。
その理由をひとつ考えられるとしたら、
展示作品が現代美術だから、というもの。

美術館に収蔵されている作品は、古典や名画と言われる、
すでに価値の定まったものだ。
しかし、このイベントで展示されている作品は、
今も生きている作家たちによって作られ、
価値が定まっていないゆえに、古典たりえていないものばかりだ。
だから、美術館に収蔵された作品よりも自由に評価できる
それゆえに、作品に対してフレンドリーな態度をとりやすい



でもそれだけだろうか。



例えば奈良美智さんの作品が撮影可能だとしたら、
それにカメラを向けるだろうか?

わたしならしないと思う。

露出もピントもめちゃくちゃで、
オリジナルとはかけはなれた写真を自分で撮るよりも、
専門の写真家が撮った限りなくオリジナルに近い写真の方がいい。



だったらなぜ鑑賞者たちは写真を撮るのだろうか?



鑑賞者たちは
カメラを向けることで作品を鑑賞している
とは言えないだろうか。
私たちがある作品にはカメラを向け、ある作品にはカメラを向けないのは、
禁止されているからという理由ではなく、
いつでも見ることができると安心しているからかもしれない

美術館にある作品について、そのオリジナルに触れられるのは、
美術館で見る限りにおいてだ。
しかし、それはずっとそこにあり、いつでもそこに行けば見られる
また、写真撮影は不可能でも、
図録や印刷物でいつでも見ることができる
だから、あえて禁を犯してまで写真に撮ろうとはしない。

一方このイベントで展示されていた作品は、
この場所で、この会期のために作られたものであり、
大使館を壊すと一緒になくなってしまう
いくら写真撮影が可能だとはいえ、
今、ここでしか見られないという意味においては、
オリジナルの作品に触れられる機会はこちらの方が限りなく少ない

かのドイツの哲学者のベンヤミン先生は、
芸術とはそもそも一回限りの体験であり、
それゆえに芸術のもつ権威性
(これをベンヤミン先生はアウラと呼びました)
をもちえた。
しかし複製技術によって芸術作品が大量に出回るようになると、
その権威性が滅びゆく
とおっしゃっていましたっけ。


でも、今回のイベントでは、
写真を撮ることは、その逆の役割を果たしているように見える。
鑑賞者たちはこの一回限りの作品を、見る代わりに


複製を熱心に作成することで、鑑賞しているように思える


複製がたくさんある作品とちがって、今ここで写真を撮らなければ、
二度とこの作品に出会えない。
それゆえに彼らは熱心に作品を鑑賞する。

そう、カメラという眼を通して



オオタ
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2010年02月08日

NO MAN'S LAND 鑑賞日記――1.痕跡と記憶

東京特派員のオオタです。
みなさんお元気ですか。
寒波に襲われた東京から、震えながらお伝えします。
先週、東京はひさびさに雪が降りました。
電車が止まったり、交通が麻痺することはありませんでしたが、
春のような陽気が続いていたので油断して、零下の寒さにびっくりしました。


・・・

さて今回は、旧フランス大使館で開催中のアートイベント、

NO MAN'S LAND(ノーマンズランド)

の報告です。



NML_200-94f14.jpg


わたしが訪ねたのは、1月の終わりの方の土曜日。
夜だったこともあり、さすがに入場待ちの列はなし。
この手のイベントにしては珍しく、週末だけ午後10時まで開館。
仕事帰りや映画館帰りにちょっとよりみち、
という感じで気軽に立ち寄れるのは、敷居が低くて入りやすい。

訪れる人に写真撮影のランドマークたるべくそびえ立つ、
パリの凱旋門を模したようなインスタレーションを横目に見ながら、
ふだんは特定の人しかくぐれない門を何のチェックもなく通り抜ける。
その簡単さもまるでアートのようで、呆気にとられる。

mon.jpg


目の前の庭にあるのは、大胆にペイントされたフランス車
(きっとフランス車だからという理由で断定すれば、プジョー)と、
紐でぐるぐる巻きにされてインスタレーションと化した
日本のシンボルたる桜の木(これも勝手に断定)に度肝を抜かれる。
右手の広場には、積み上げられたロッカー、机、書棚等備品の数々。
これも作品のようで、白くペイントされている。
備品の一部には値札がついており、どうやら作品を購入することもできるようだ。
左手にはふたつの建物。その壁にも大胆なペイント。




わざと似てなく描いたようなスーパーマリオが壁に描いてあった。
知らないはずの、バリケードを張って立て看板にまみれた、学園闘争中の大学の雰囲気に似てなくもないなんて思う。
建物に入ると、そこは現代アートの洪水。
映像、写真、インスタレーション、作品制作中のアーティストもいて、
まるでこれも作品の一部のよう。

・・・

集まったギャラリーも、アーティストの分野も国籍もばらばらで、
そこに何か共通したテーマがあるわけではないのだろうけど、

数が集まると人の思考はどこか似てくると思う

のは、穿った見方だろうか。


例えば感じるのは、

痕跡や記憶

とは何かということ。

大使館にはさまざまな部屋がある。
大使の執務室、書庫、クローゼット、浴室、キッチン・・・。

部屋をどう使うかは、アーティストやギャラリーの方針にゆだねられている部分が
大きいだろう。
そこでは、ギャラリーのホワイトキューブや美術館の展示室で展示するのとは違った制約を受けることになる。
しかし、どうしても大使館という場所がもつ
政治性や歴史性
あるいは書庫や地下室といった
部屋のもつ特徴が勝つ。
そのとき、その作品はその
部屋と一体のものと言えるのか、
それとも
まったく自律したものと言えるのか。

部屋の痕跡を生かすにろ、消すにしろ、はたまた無視するにしろ、
いずれにしても
作品は、その部屋の痕跡や記憶と無縁ではいられない
そうすると、その部屋の痕跡自体が作品に影響を与えることになる。

・・・

例えば、

1.その部屋がかつてどんな場所だったのかや、

そこにかつてどんな人がいたのかを想起できるように、

可能な限りその痕跡を生かす。



あるいは、

2.かつてのありようが想像もできないくらいに、

その部屋の痕跡を破壊する。



あるいは、

3.部屋の痕跡を無視し、部屋をただ展示する空間としてしか

機能させない。


第一の方向性なら、その部屋に残された家具や衣類や書籍を利用したり、
粘土や木といった違う素材のもので模倣する作品。

第二の方向性なら、その部屋の痕跡がわからないほどに部屋を装飾したり、
破壊して改造してしまう作品。
しかし、これはその部屋で展示する意味を問われてしまう。

第三の方向性なら、壁に写真をかける、床にインスタレーションを置くといったもの。
しかし、これはよほど作品に力がない限り、部屋に負けてしまう。

そのせいか、どうしても第一の方向性をもった作品や、
国家や歴史とは何か、フランスや日本のイメージとは何か、記憶とは何か、
といったようなテーマ性の作品が多いように感じた。

それゆえにたくさん見た割には、同じような印象を与える作品が多かったような
感想を抱いてしまった。

もちろんそれぞれの作品に個性はあるのだけれど、
あまりにもたくさん見すぎたゆえに、些細な差異は瑣末なことに思われた。

・・・

以前中村氏の記事http://nara-art-prom.seesaa.net/article/125871431.html
で「風土は芸術や表現よりも強い」とあったけど、その言葉を借りるなら、

「痕跡や記憶もまた芸術よりも強い」

ということだろうか。

確かに、建物や場所に否応なく染み付いた痕跡や記憶は
塗り替えることも消し去ることもできない。
しかし、あまりにも同じような表現は、見るものを萎えさせてしまう。
うまくその場所の痕跡や記憶を生かしながら、
それを新しいものへと変えるような作品が現れやしまいか。

痕跡や記憶と芸術が化学変化を起こす

ような、そんな作品が。


・・・

NO MAN'S LAND(ノーマンズランド

港区の南麻布にあるフランス大使館が新庁舎に移転するのにともない、旧庁舎を取り壊すことになりました。
キャッチコピーにもある「破壊の前に創造を」のとおり、日本やフランスを中心に活動するアーティストたちが、旧庁舎のありとあらゆる部屋、階段、書庫、庭のすべてを使って、現代アートの空間を作り出しました。
一部屋ごとに違うギャラリーがプロデュース、総勢70人以上のアーティストが、アート、デザイン、ファッション等さまざまな分野から参加しているそうです。
会期は2009年11月21日(土)から2010年1月31日(日)まででしたが、好評につき、2月18日(木)まで延長されました。

http://www.ambafrance-jp.org/spip.php?article3719

オオタ
http://d.hatena.ne.jp/kokeshinikki/
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2009年11月15日

こんなん作ってみました2

東京の秋の行楽シリーズ第2弾は、
印刷といえば紙

というわけで、埼玉との県境にある東京都北区王子の、
飛鳥山のふもとにある、紙の博物館に行って参りました。
飛鳥山は8代将軍吉宗が作った桜の名所。
春になると行楽客でにぎわいます。

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春にはここが一面桜色に

また、東京都内で唯一残る路面電車の都電荒川線が走り、
お手軽に行楽気分を味わえます。

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庶民の足としても健在の路面電車

ところで、なぜこんなところに紙の博物館があるのでしょうか
そのヒントは地名にあります。
王子と聞いてピンと来た人、かなりの文具マニアですよ!

アピカやジャポニカといった学習用ノートの紙の製造元が
王子製紙という名前なんです。
王子製紙は、日本で初めて作られた製紙会社。
紙の生産には大量の水が得られることと、
原料を運ぶ水運の発達していることが条件でした。
それを満たしていたのが、ここ王子だったのです。
その後、王子製紙は北海道に工場を移すのですが、
発祥の地である王子には、紙の博物館が作られました。

週末には紙すき教室が開かれ、手すきのハガキを作ることができます。
TS360034.JPG


紙の仕組みは、植物の繊維を水に溶かした物を、
木枠に流し込み、水分をきって、乾かします。
すると、その繊維同士がくっついて紙ができあがります。
材料や大量生産技術が開発されても、
紙が発明されたころからその原理は変わっていません。

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いろんなすかしが入れられる木枠

今回開催されていたのは、「手漉き和紙の今」という企画展。
日本全国にある手透き和紙をあつめると、全部1000種類以上あるとのこと。
その1部が、展示されていました。

手漉き和紙の技術は、機械化と洋紙によって廃れていきました。
中には、集落で一軒だけ残った紙漉きの家が守ってきた技術というのもあるそうです。
一口に紙と言っても、原料や漉き方によってまったくちがいます。
透けるように薄い和紙から、
傘や紙衣(紙で作った着物)がつくれるくらい丈夫な物、
金箔を入れて豪華にしたものや、中には泥を混ぜて
色の変化をつけたものまでさまざまです。

改めて紙の世界の奥深さを知りました。

紙の博物館
http://www.papermuseum.jp/



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2009年11月08日

こんなん作ってみました

ですね。
気づかないうちに夏が終わって、秋になっても暑いので、
今年は気づかないうちに冬になってしまいそうです。
せめて気分だけでも秋らしくしたいなぁ・・・
ということで、


秋といえば、文化!
文化といえば、秋!


と強引に、秋の文化活動にふさわしい施設を紹介したいと思います。

今回行って参りましたのは、
飯田橋にある印刷博物館。
ここを運営するのは印刷会社のトッパン。
さすが印刷会社の施設だけあって、資料がハンパありません!

世界最古の印刷物と言われる百万塔陀羅尼
活版印刷の最初と言われるグーテンベルグの聖書
浮世絵やリトグラフなど東西の版画の技法や道具。
活字や電算写植などの印刷技術の発達まで。
印刷に関するありとあらゆることが展示されています。
その中でもオススメは、「印刷の家」
ここでは実際に活版印刷体験ができるのです!

今はDTPですが、30年ほど前までは活版印刷が主流。
確かに昔の本って、触ると、ページがでこぼこしていましたよね。
活版印刷の特徴は、一つのページが一枚の板ではなく、
ばらばらの活字の組み合わせによってできていること。
そのため、工程が主に3つに分かれています。

まずは、ばらばらの活字を活字ケースの中から、原稿通りに活字を選ぶ「文選」。
次に、原稿通りに活字並べる「植字」。
最後に完成した版にインクを載せて紙に刷る「印刷」です。

活字ケースには、ひらがな、カタカナ、漢字、句読点や?や!といった記号が、
文字ごとに並べられています。
こんなたくさんの活字を、どうやって区別していたのか不思議になります。

職人さんはすべての場所を暗記していたんですって!
なんと、ひとつの文字を選ぶのに3秒程度。
そのため、触るだけで上下がわかるように、
活字の下になる部分には、溝が彫られています。

活字は、鉛やすずといった金属でできているせいでしょうか。
大きさは親指の長さもないくらいなのに、ずしりと重みを感じます。
一ページ分の活字をケースに詰めると、2キロくらい
ちょっとしたダンベル代わりになるくらいの重さです。
これを持つと、情報というあやふやな実体のないものが、
物体になると、こんなにあるんだ!とびっくりします。

そうやって選んだ活字に、今度は原稿の指定通りの空きや余白を入れて、
体裁を整えていきます。
このときに使うのは、インテルという板。
活字よりも背が低いので、この部分にはインクが載らず、印刷されません。
1ミリくらいの薄いものから、2センチくらいの分厚いものまで。
これをケースにぴっちりとおさまるように詰めるのが
職人さんの腕の見せ所だそうです。

そうしていよいよ印刷です。
今回使用したのは、レバーを下に押すと、
セットした活字に自動的にインクがついて、
印刷できるという、簡単な機械でした。
ぐっとレバーを引くと、活字が紙に押し付けられる手応え

印刷された紙を見ると、その部分が少しへこんでいます。
物を作っているという実感を得られる瞬間です。

TS360022.JPG


そうして完成したのは、N.A.P.ロゴ入りコースター。
体験コースの内容は、季節ごとに変わるそうです。
みなさんも東京にお越しの際は、
一度体験してみてはいかがでしょうか?


印刷博物館
http://www.printing-museum.org/index.html



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2009年08月23日

東西公園考

みなさんこんばんは、暑いですね。
今頃の季節は日が落ちる時間も早くなって、夏の終わりを感じます。
ところが昼間はそうでもないように思います。
暑いせいっていうより、特にセミのせいで。
あの声を聞くだけで、体感温度が二度くらい上がる気がするのは私だけでしょうか。

ところで、東京はどこにそんなにセミがいるんだろうかと不思議なのですが、
東京は公園とか、皇居とか、大学とか、神社とか、以外に緑が多いからかもしれません。
都心に行くほど、古い時代のものがぽつんとそのまんま残っていたりします。
周りはビルばっかりなのに、その敷地内だけ鬱蒼としているような所に出くわすと、
タイムスリップした気分になります。

・・・

そういえば、東京の公園は奈良公園とは違う雰囲気があります。
ピクニック、演劇やダンスの練習をする人、ひなたぼっこや昼寝をする人・・・。
公園ならどこにでもあるありふれた風景と思いきや、
奈良公園でそういう姿の人って以外に少ないように思うんですがいかがでしょうか。
東京の公園は芝生が広がり、いかにも憩いの場といった感じです.

木陰で一休み
yoyogipark2.JPG


ロックンローラーたちの昼下がり
yoyogipark3.JPG


体力作りはジョギングから
yoyogipark1.JPG

・・・
このちがい、何だろうって、
奈良公園は国宝・文化財が山のようにわんさかあって、
公園よりもそちらのほうが主役だからかもしれません。

ん?
いや、
ちょっと待てよ・・・。
なんかもう一つ忘れていたものがあるんじゃないっけ?

あ、アイツだ!!
そうそう、奈良につきものといえば、鹿。
彼らがいると、寄ってこられそうで弁当も広げにくいし、
当たりそうでフリスビーなんかも投げにくい。
そうして何より、いちばんの障害はフン!
芝生の上に寝転ぶなんて、御法度。
そのせいか、奈良公園は他の公園と比べて
地べたに座っている人の率が少ない気がします。
そして芝生を歩くときは皆うつむき加減。

私は未だに芝生の上を歩くとき、下を向いて歩くくせが抜けません。


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2009年07月14日

夏の始まり 西/東

みなさんこんばんは。
そろそろ梅雨も明けて、いよいよ夏本番ですね。
関西の方でこの時期のお祭りといえば、
真っ先に思い浮かぶのが京都の祇園祭。
ちょうど路地のあちこちで山鉾の組み立てが始まる頃です。

関東の方だと、有名なのは7月9日と10日に行われる浅草寺のほおづき市。
この日は観音様にお参りすると、
4万6千日(126年分)のご利益があるそうです。
ほおづき市もその4万6千日にちなんで行われるんだとか。
浅草寺以外でも、この時期にはあちこちでほおづき市が開かれています。
私も会社の近所のほおづき市に行ってきました。

私の勤める会社の近所は、谷根千(谷中、根津、千駄木)と呼ばれています。
東京の昔ながらの街並が残る下町で、
ここ数年、喫茶店や雑貨屋を開く若い人が増えてきて、
奈良町とものすごく似た雰囲気があります。
だからでしょうか、ほおづき市といいながら、
手作り雑貨を販売する人、
近所の東京芸大生の民族音楽のバンド、
出張喫茶&バーなんてのもあって、
日曜の昼間にやってるフリーマーケットみたいな雰囲気でした。

もちろん、地元有志による焼き鳥や焼きそばに生ビールなんて定番の屋台や、
夏らしい風鈴やヨーヨー釣りなんて屋台もありました。
地元の人だけでやってる閉鎖的な感じでもなく、
かといって若い人たちだけで内輪で固まっているというわけでもなく、
地元の人と新しく入ってきた人が
一緒になって作り上げているという感じがしました。

ところで、ほおづきってお盆のお供えの一つでもあるんですよね。
東京では今頃の時期から、花屋さんにお盆の迎え火を焚くたきぎや、
スーパーや八百屋さんでお盆のお供えが目につきます。
ずいぶん早いなあと不思議に思っていました。
調べてみると、東京に古くから住んでいる人にとっては、
お盆は7月15日を指すそうです。
ほおづき市が盛んなのはそんな理由もあってからかもしれませんね。

なんとなく近いような気でいるけど、日常にある何気ないことに
西と東の違いを感じます。
posted by 実行委員会 オオタ at 22:17| Comment(2) | 【連載】 東京だより | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月12日

台風がやってきた!!

こんばんは、明日はいよいよフライヤー配布ツアー第二段ですね。
私は参加できませんが、東京の空からうまくいくようお祈りしています。
ああ、ほんとうに参加できなくてくやしい!

東京特派員のオオタです。


ところで、突然ですがみなさんは「カルチュラル・タイフーン」
というイベントをご存知でしょうか?
2009年で7回目をむかえる、カルチュラルスタディーズ研究者を中心とした学会で、
今年は7月3日から5日まで、東京外国語大学で開催されました。
パフォーマンスにイベントブース!?と、
学会にしてはおもしろそうだったので、早速遊びに行ってきました。

その前にカルチュラルスタディーズって何なの?というと、
イギリスで発祥した文化研究の一流派のことで、
マンガやテレビといった大衆文化が
見る人にどのように受け入れられるかや、
黒人や女性、旧植民地などの支配される者が
どのような権力作用を受けているかや、
あるいは、どのようにすればそれら権力に対抗できるか・・・。
ということを研究するそうです。
小難しいことをおいといておおざっぱに言うと、
グローバルとか資本とか権力にからめとられずに生きるにはどうしたらいいのか?
みたいな問題意識でもって文化を研究するという領域だとか・・・。

カルチュラルスタディーズでは、
なんとサッカーやサーフィンなどのスポーツや
ラップやDJ文化まで研究対象になるだけあって、
なんでもありな自由な雰囲気がただよっていました。

野外ではベジタリアンフードやエスニック料理の屋台が出ていて、
ロックや民族音楽のライブが行われていました。
水着で日光浴する人、裸足でサッカーに興じる人、
ビールを飲みながら議論する人・・・。
学会というよりかは、野外フェスみたいな雰囲気でした。

学術発表は聞くのにお金が必要だったのですが、
それ以外の展示ブースは無料でした。
エコ、ロハス、外国人問題、アート・・・
さまざまな主張をする団体やNPOが展示したり講演会を行っており、
会場のいたるところで交流の輪ができていました。
中には自主制作の音楽や雑誌、雑貨を売る人たちもいて、
こちらはまるでフリーマーケットのような雰囲気でした。

中でも強烈だったのが、ミニラジオ。
微弱な電波を出す機械を使って、講演を会場内に中継しているのです。
ラジオを持っている人がその周波数に合わせると、
講演しているブース以外でも同じ内容を聞けるそうです。
さすがにそこまでして聞こうとする人はいなかったみたいなんですが、
会場のあちこちにラジオが置かれていて、直接講演会のブースに行かなくても、
講演を聞けるようにしていました。

こういう場所での講演会って参加するのに気負いがいるのですが、
こんなふうにラジオを通してだと、なんかやってるな〜って感じで
気軽に聞けるのですごくいいなと思いました。
ラジオで気になる話題が出てきたら、すぐに実際に聞きにいけるし、
話す方もラジオを介することで、すごく少人数でも緊張感が出てきて、
単なる内輪うけにならないで話せるのがいいと思いました。

出張NAP会議も中継してみて、
NAP会議を聞くためにわざわざその周波数に合わせる人が出てきたり、
飛び入り参加者が出てきたらおもしろいのに、
なんて・・・?
とにかくNAPの輪が広がることを願うばかりです。



カルチュラルタイフーン
http://www.cultural-typhoon.org/
posted by 実行委員会 オオタ at 01:13| Comment(2) | 【連載】 東京だより | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月10日

プチ奈良ブーム!?

お久しぶりです。
自称NAP東京特派員のオオタです!
NAPがいよいよ本格的に始動してきて、
なんておもしろそうなことをしているんだ〜!?
とパソコンの前で地団駄踏む毎日です。

ところで、東京では先月までプチ奈良ブームでした。
3月31日〜6月7日まで上野の東京国立博物館で、
阿修羅展が開催されていました。
来場者数なんと90万人以上。
過去最多の人出だったそうです。
私は連日の入館者数記録更新という新聞報道に恐れをなし、
とうとう会場には行けませんでした。
今回は阿修羅を後ろからも見られるように展示したらしく、
360度堪能できたとか。
いや〜、あの興福寺の宝物館の人気のなさを考えると、ウソみたいです。

そういえば、阿修羅展の影響か仏像本も多く出版されており、
どの書店に行っても「奈良」という文字を見ない日はありませんでした。
その割に、東京の人に遷都1300年祭はあまり知られていないみたいで、
どちかというと、みうらじゅんさんやはなさんの
仏像ブームにのっかっているような感じです。

今回の阿修羅展でも証明されてしまいましたが、
やっぱり「奈良=仏像」なんですよね・・・。
奈良町とか現代美術なんて言っても、
なんのこっちゃという感じで・・・それが悔しくってなりません!!
阿修羅さんはこれから福岡にも巡回されるそうですから、
留守のうちにNAPで奈良を占拠してくれないかしら?などと
期待しつつ、今日もパソコンの前で地団駄踏んでおります。







posted by 実行委員会 オオタ at 01:37| Comment(3) | 【連載】 東京だより | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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